二つの自由

2024. 7. 1

朝邉博史

一般に自由と呼ばれるものには、二種類の自由がある。一つは欲望の自由、自ら欲望を達成するための自由である。もう一つの自由は、自らの意志をコントロールする自由、高貴なる目的のために自らの心を統御する自由である。

普通は、欲望を達成するための自由を本来の自由と考えている方が多いかもしれないが、これは、欲望に振り回される、欲望の奴隷でもあり、どこまで行っても満足と幸福は得られない。自らの心をコントロールして、高貴なる目的を実現する自由を確立した国は、残念ながら地上には未だ存在しない。歴史上、識者、哲学者がその国家の存在を説いたものはあるが、いまだ実現していない。宗教立国の出現を待つしかないのかも。

2024年6月24日、環球時報が米国人の旅行者が見た「中国の現実と米国内でメディアが伝える中国とは違う」という記事を載せていた。インフラは発達し、国は清潔で安全、警察は親切で市民サービスをする公務員と報じていた。

現実は、中華人民共和国国家安全法、香港国家安全法の名のもと、突然に逮捕されたり、拘束されたりする。宗教の自由、思想の自由、言論の自由、出版の自由のない国家である。前段で述べた、思想のない人の欲望の自由は認めるが、思想、言論で理想的な社会を実現しようとする高貴なる自由は認めない国家のようである。

私の信条を述べておくと、欲望の自由を追い求めた方は、死後地獄へ、自らの心を統御して、高貴なる目的を達成せんとした方は、その認識レベルに応じて死後天国へ帰られる。

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